この12年間の、すべてのひとに、ありがとう

 私はインターネットでずっと実名を名乗ってきたけれど、対面嫌な言い方だけど、所謂『リアル』)で関わってきた人々と、インターネットでコミュニケーションをしてきた方々とは、やりとりの方法がかなりはっきり分かれていたように思います。分かりやすく言えば、対面(リアル)で関わっている人々で私のネット上の活動を知っている人はごく一部だと思っています。

 だからそういう点では必ずしもここに書く必要はない(書く意味が無い)と思っていたのだけれど、それでもやっぱり対面(リアル)で関わっている人々もこのブログなどを読む可能性がある以上、ケジメとして書くべきなような気がしてきました。

 この12年間弱、対面(リアル)で関わった人々には本当に迷惑のかけっぱなしでした。

 一番には家族。
 二十歳代半ばまで、アルバイトもほとんどしたことのないような、過保護に育てられた私は、逆に家族というものに反発して
「家族なんかなくても生きていける。自分が本当に好きなことを追いかけるためには家族なんて顧みてなんかいられない。」
と思っていました。
 けれども、自分では思いがけない、どうしようもない状況に陥ってしまったとき、結局藁にもすがる思いで私が頼ってしまったのは家族でした。そして家族は本当に心から私の身を案じてくれて、そして気長に待ってくれて、惜しみない支えをしてくれました。
 当然、上のような傲慢な私の考えは改めざるを得ませんでした。

 二番目には会社、学校でお世話になった方々。
 とにかくいろいろな人々に、それぞれいろいろな形の迷惑をかけましたけれども、

2011年2月の今現在、
今から12~13年前に就業していたときと同じように、
今から2~3年前に就業していたときと同じように、

(それなりに)やり甲斐のある、意義を感じる仕事で働いて、お金を頂いて、健康も崩さず、楽しい生活、さらに言えば幸せな生活が出来ることは、本当に有り難いことです。

 12~13年前とは流石にいろいろ状況が違いますが(人生は取り返しのつかないものなのですネ)、2~3年前との比較では、あたかもこの1年半の出来事が何事もなかったかのように、まるでタイムスリップしたのではないかと錯覚するくらい、元の鞘に納まらせて頂きましたが(人生というのはある程度やり直しが効くものだということですネ)、それはひたすらご迷惑をおかけした方々のお陰であり、そのことを考えると本当に頭が上がらない思いです。

 三番目には友人たち。
 特に3人の親しい友人は、もう20年来の付き合いで、私がどんな状況であっても、見守り、時には意見・アドバイスしてくれ、それに反発したり納得したりしながら、楽しく付き合ってきました。
 その他にも貴重な友人たちはいますけれども、いずれにせよそういう友人を持てたことは間違いなく私の人生の宝だと思っています。

 この12年で2回、起こったことは、私の人生の中で、間違いなく大きな「事故」だと思いますし、それらで私自身が失ったものもとてつもなく大きいのですが、その代わりに得た貴重な教訓は、月並みですが

人間は一人では生きられない。ヒトが人間たるのは『人の間』にいるからなんだ

ということだった気がします。いや、人間一般は分からないけれども、少なくとも

「私・高崎真哉は多くの人の支えなしでは生きられないと言うこと、それらを極力減らして、自分一人ででも生きようとした20代半ばの高崎真哉の考えは浅はかだった。」

ということでしょうか。
 歴史の本はたくさん読んでいたけれど、そこから上のことを学ぶことは出来なかったし、あるいは、あたかも一人で生き抜いたような、力強い生き方をした人々に、憧れてしまったのかもしれません。

 そういうわけで、例のごとく長くなりましたが、お世話になった、あるいは現在もお世話になり続けている皆様、ありがとう
 そして、すべての人に、ありがとう

 落ち込んだりもしたけれど、私は今は元気です。

最終更新日 2011年2月6日 18時49分

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コメント

  1. ws より:

    いやぁ、焦りました。
    一瞬色々なこと考えました。アクセスしまくりました。
    これからも長い友達でいてください。
    お願いします。