当ブログ開設20周年~歴史と変遷

 このブログ「まったりハマる生活」は「ハマる生活」として2005年12月に開設してから、このたび2025年12月29日で満20周年となった。後述のように本ブログは更新をまともにしなかった時期も長かったが、今年2025年は年頭に「ブログ作成、本格再開の年」と密かに誓い、自分としては精力的に記事を作成できたと思っている。そういう年に20周年を迎えられたことはまた喜ばしい。

 本記事では当ブログの歴史、さらには自分のインターネット史を振り返り、ブログタイトルにつけた「ハマる」の意味も含めて、思うところを書いてみたい。

[推敲度 6/10]

【目次】

「ハマる生活」「まったりハマる生活」の歴史年表
本ブログの投稿数変化
継続は力なり?、、、ゴメンナサイ
駄文書き好き、、、だが仕事にはしなかった
ネット上で文章を撒き散らす
ブログタイトルの「ハマる」の意味
ブログの登場と開設、目的と変化
2022年以降のブログ記事作成の再開
終わりに、そして続く

【本文】

■「ハマる生活」「まったりハマる生活」の歴史年表

 まずは当ブログの歴史、変遷を表にしてみる。その際、以前に
BILOBEのウェブリブログが終了予定。BILOBEの思い出」(2022/7/2)
で振り返った、自分のインターネットとの関わりも併せて載せてみた。

時期ブログシステム関係ブログ内容関係自分とインターネット関わり、当時参加していたもの
1994年(31年前)頃インターネットを始める。
・fjニュースグループ
・各種メーリングリスト
この前後で自宅ではパソコン通信(PC-VAN)を始めたが時期の記憶が曖昧。
1996年(29年前)頃Webサイト(ホームページ)開設。代表は「私的中国史調査会」など。
2001年(24年前)spam問題啓発サイト「迷惑メール(spam)撲滅私的調査会」を開設。
2005年(20年前)12/29:BIGLOBEウェブリブログにてブログ開設当初はパソコンFAQをまとめる目的だった。開設記事に続く最初の投稿は自作パソコンネタ。・mixi
・ブログ
2006年(19年前)1月、日記と称しながらパソコンパーツの紹介になっているなど、その後のブログの方向性を窺わせる。
6月、自作パソコンのパーツ替え報告記事。それまでWebサイトで書いていた内容を、しれっとブログ記事で書くようになる。
2008年(18年前)11月、最初のスマートフォン関連記事
2010年(15年前)体調を崩すなどして記事数激減。翌年から少しは復活。twitter
2011年(14年前)・facebook
2016年(9年前)特に理由は思い当たらないがこの頃から2021年まで投稿数わずか。
2022年(3年前)1月:利用しているウェブリブログが2023/1でのサービス終了することを宣言、告知。自分はそれを6月に気がつく
9月:Seesaaブログに引っ越し、名称を「まったりハマる生活」に改める。ほどなく独自ドメインでの公開を開始する。
9月のSeesaaブログ引っ越しを機会にブログ記事作成を再開する。この年後半、記事作成数6。
2023年(2年前)この年、作成記事数10。記事を作りたい思いは続くが、Seesaaブログの広告のウザさで記事作成の気力を削がれる。
2024年(1年前)10月 SeesaaBLOGの広告のウザさが耐えきれず、ブログシステムをホスティングサービスでのWordPressに移行。1年近く作成しなかった期間を経て、WordPressへの移行を機にブログの本格再開を意識する。3ヶ月で作成記事数14。
2025年12/29、当ブログ20周年2009年(16年前)の時ぶりに年間作成数が20記事を越える。現在は文字数が1万文字を越えるものも多く、一概に比較は出来ない。上記に挙げたインターネットツールで更新を継続しているのはほぼtwitter(X)とブログのみ。

■本ブログの投稿数変化

 続いてブログの投稿数を年ごとに集計してみた。

■継続は力なり?、、、ゴメンナサイ

 いやはや、20周年だと?
 20年続けてきたことを以て「継続は力なり」などと豪語しようとした自分であるが、上のグラフを見ると全くもってお恥ずかしい。一度も投稿しなかった年が4年、投稿数5回に満たなかった年は7年もあるではないか。10回以上更新した年は10年しかなく、しかも2年は10回すれすれ、すなわちしっかりと10回以上更新した年は8年しかない。こんなんで「20周年」と言えるのか?

 いやいや、まあまあ。後ろ向きになっても仕方が無い。20年前に開設したものを現在でも続けていて、記事が総計330に達するのは事実。めげないで以下、続けよう。

■駄文書き好き、、、だが仕事にはしなかった

 自分は文章を書くのがかなり若い頃から好きだった。世には「研究者」という仕事があるが、研究者は物事を調べて、文章を書き、世の中に訴えることが仕事だと思っており、そういう人生を目指そうとしたこともあった。けれども体調を崩すなどして、挫折した。

 研究者以外の文章書きになりたいと思ったことはなかった。若い頃は小説を読むのもそこそこ好きだったが、小説を書きたいと思ったことはない。自分には想像力、空想力があまりないことを感じていた。新聞記者、雑誌記者、ライターなどを職業にしたいと思ったことも基本的にはない。
 そういえば中学の時には雑誌編集部なんてのに入っていたこともあったけど、その頃は文章を書くのが好きだった記憶は無いなぁ。

 上記のように「文章を書く仕事」で唯一なりたかった「研究者」へは、まあ一応努力はしたけど、駄目だったということで、若い頃の人生はそれなりの紆余曲折になったが、お陰様で後悔、やり残した感はない。振り返れば、文章を書くのは好きだが、それを職業にすることが性格的に合ったようには思われないし、またその才能があるかは別問題だ。

■ネット上で文章を撒き散らす

 文章を書くのが好きということはまずはメールが長くなる。若い頃は親しい友人に毎日のように延々とメールを書いていた気がする。

 インターネットはそれを発散する良い場所となった。上の表に書いたように、
fjニュースグループ
メーリングリスト
Webサイト(ホームページ)
mixi
ブログ
twitter
facebook
と、それぞれの場所で駄文長文を書き散らしてきた。

 上記のものに出会った時、特に感銘したのがWebサイト(ホームページ)だ。インターネットそして、Webサイトが登場するまで、個人が世界に向けて「気軽に」情報や主張を発信できるツールなどと言うのは無かった。それが出来るようになったのだ。凄いことだと思った。
 インターネットが登場する前は自分の主張を多くの人に伝えるには、手軽にはビラ配りでもするしかない。しかしそれでは毎日せいぜい数十人から数百人に渡せる程度だろう。労力と費用も甚大だ。実際、自分が大学に入った頃はそのような状況だったが、それが数年でインターネットが普及し、日本中、世界中の人に簡単に自分の文章を見せることが可能になったのだ。

 もし研究者を目指していたのなら、一つの目標は書籍を出すことだっただろう。けれどもWebサイトは実に書籍のようなもので、金を取れるわけではないが日本中(世界中?)の人に見て貰うことが出来たし、廃止しない限り、のちのちまで人々の目に触れる可能性がある。それはちょうど本を出版すれば、たとえ本屋には並ばなくなっても、古書店で誰かに手に取られる可能性があるかのように。

 インターネットの登場、特にWebサイトの登場では、本当に凄い世の中になったものだと思ったものだ。

■ブログタイトルの「ハマる」の意味

 インターネットに出会う前の子供の頃から、好きなことには夢中になる傾向にあった。当ブログの「ハマる生活」はそのような性向からつけたものだ。今現在もWebサイトとして残している「中国史」「竹本泉」先生作品、アートアニメ、はいずれも若い頃に趣味として「ハマった」と言えるだろう。

 またインターネットの登場後は、登場した各種ツールにも「ハマった」と言え、すなわち
fjニュースグループ、メーリングリスト、Webサイト(ホームページ)、mixi
などについては結構夢中になった。NG、MLなどは毎日、何時間もやりとりをしていた思い出がある。

 それらのツールはあくまでツール、それらによってもともと夢中になる傾向にあった「趣味」への思い入れ、「ハマり」具合をさらに煽る?ことになった。その傾向の特に強かったものはWebサイト「私的中国史調査会」で、これは「中国史」と「インターネット」のそれぞれに「ハマった」相乗効果の結果であり、後には就職した技術系の大企業を辞めて、文学部に入り直し(編入学)、研究者を目指す一因となった(2000年前後)。
 文学部は卒業したものの、研究者を目指す試みは断念し、技術系の中小企業に再就職、「文章を書く」というのは本職にはならなかった。

■ブログの登場と開設、目的と変化

 上記のようにインターネットのツールについては一通り夢中になり、特にWebサイトには感嘆の思いがあったが、2004年頃に登場したブログについては、正直なところ「Webサイトの二番煎じ」「日記サイトの焼き直し」という感が拭えなかった。だからすぐには飛びつかなかったのだけど、やはり気にはなる。その頃、Web掲示板等でコンピュータに関するアドバイスをすることに「ハマって」いて、自分なりにTipsを纏めた記事を作りたい、Webサイトを作るまでの気迫は無い、と思うようになったので、それを言い訳にしてブログを開始した。ブログの始めは、やたらパソコンに関するアドバイス的な記事「Tips」「FAQ」が多いのはそれが理由だ。

 そのような記事は確かに当初、多く作ったが、やがて早々にWebサイトの代わりというべき記事を書くようになった。すなわちWebサイト「電脳もの」というパソコン、自作パソコンに関する個人サイトを作っていたが、それに所属するような記事だ。

 そしてスマートフォンの記事も多く書くようになった。自作PCを含むパソコン関係とスマートフォンが2台柱となり、それを含めても投稿数は多くなかったが、Webサイトを更新しなくなった自分にとって、主張したいこと、紹介したい製品があると、情報発信の出来る貴重な場所だった。

 ブログはWebサイトの2番煎じ、そういう思いがありつつも、Webサイトとブログは両方併せて情報発信ツールとして実に楽しいものだ、作り続けたい、作るのは楽しい、持ち続けたい。実際には作ることは減っていったが、そういう思いはずっと続いていた。

■2022年以降のブログ記事作成の再開

 ブログ記事をほとんど作成しなくなった2016~2021年であったが、復活のきっかけになったのは

2022年 利用していたブログシステム「BIGLOBEウェブリブログ」から終了宣告。ブログの引っ越しをせざるを得なくなり、そこで勧められていたSeesaaブログに移行。
2024年 広告がウザいSeesaaブログからホスティングでのWordPress運用に移行。

の2つであり、これらの中で自分の中におけるブログというものの価値を見直すことになった。

 2025年はブログ本格再開の年にしようと密かに思っていたが、年間作成数は20記事を越え、2009年ぶり以来となった。ブログ開設翌年の記事数90に比べると随分と少ないが、その頃は2000字~3000字の記事が多く、昨今の10000字を越える記事を頻繁に作っている状況とは一概には比べられない。

 ブログの内容は、相変わらずパソコン、スマートフォンなど、いわゆるデジタル、デジタルガジェット関係が多いが、今年は
出光美術館25年ぶり訪問と帝劇ビル建替に伴う長期休館、近代建築と百尺規制」(2025/3/12)
ダウ平均株価の歴代停滞期間ワースト20」(2025/4/20)
などの自分としては珍しいテーマでも記事を作成した。

 デジタル話題に比べるとなかなか訪問者は多くないが、自分としては独自?の調査を掘り下げることが出来、満足している。今後も探っていきたい。

■終わりに、そして続く?

 本記事ではブログ開設20年を記念し、本ブログの歴史を、自分のインターネット史と併せて紹介した。

 その中でWebサイトの代わりとして記事を作るようになった旨を述べたが、ではブログというシステムは自分にとってWebサイトの代わりとして必要十分なシステムだったと言えるのであろうか。個人という自分にとって、ブログシステムがあればWebサイトはいらないのだろうか。

 またブログ創設のあとで、SNS(ソーシャルネットワークサービス)というものが広がり、代表はTwitterやfacebookで、自分も利用したが、ブログとそれらとの関わりはどうなったのだろうか。

 さらにはブログを人に読んで貰うためにはWeb検索との関係が重要だと感じてきた。そして近年、インターネットサービスでは広告が随分増え、不快に思うようになってきた。このブログの当初(2006年頃か)もアフェリエイトを導入したことがあったが、2022年に移行したSeesaaブログは広告が鬱陶しくて引っ越してしまった。広告に対して思うところもある。

 続く記事でそれらに関して思うことを述べたい、、、、、と考えているのだが、本ブログの記事、複数回シリーズのつもりで構想を立てて、タイトルに「1/3」(シリーズ3回のうち1回目)などと付けて記事作成を開始するが、そのまま続きを作り損ねて終わってしまったことも多かった。折角の20周年記事がそうなるのも少々みっともないので、本記事はこれで一旦終えることにする。

 この20年、本ブログ記事を少しでも読んでくれた方々、特にコメントを残してくれた方々には深く深く、感謝したい。