(前編からのつづき)
前回の記事に書いたように、新海誠氏の「ほしのこえ」の制作の偉大な点は、従来は個人では困難とされてきたセルアニメ的なアニメの制作を、コンピュータを利用してほとんど独力で作り上げたことにある。
[新海誠作品の魅力]
新海誠氏のアニメ作家として画期的な点はまずはそこにあったと私は思うのだが、むろん、それだけではない。というか、ポコポコとセルアニメ的なアニメが大量生産される時代に「それを個人で作ってみました」だけではほとんど注目を浴びまい。
新海氏の作品には演出やストーリー、プロットに独特のものがあり、そこにも大きな魅力があり、実際、多くの人を魅了したのはその部分も大きかったはずだ。というのも、私が上で書いたアニメ作家としての独自性はアニメの歴史や制作側の事情を知った上で理解できることであって、純粋に作品を見ただけでは分かりようがないからである。
新海誠氏作品の優れている点を挙げてみるなら
- 画面の美しさ
- ストーリー(「切なさ」が一つのキーワードかもしれない)
- 演出
- 音楽とのマッチング
[ということで、新作「秒速5センチメートル」を見た]
まあ前の記事に書いたようなわけで、新海誠氏は私が非常に注目する作家であるわけだが、氏の新作
秒速5センチメートル
以下はその作品についての感想であるが、必然的に「ほしのこえ」と「雲のむこう、約束の場所」にも多く言及している。所謂「ネタバレ」になるような部分も出てくると思うので、もし、もともとそれらの作品を見るつもりの方は読まないことをお勧めしたい。見てから読んで頂いても遅くないだろう。
[見る価値]
まず一応言っておくと、後述で書いているように、私はこの映画については十分な評価は出来ないのだが、この映画が見る価値があるということだけは強調しておく。
この映画は
公式サイト:秒速5センチメートル
東京都(というか関東)で唯一上映していたシネマライズ (渋谷)では4/27までなので、この記事をアップした後一週間しかないが、東京の方は是非行って欲しいと思う。もしレンタルDVDが出た暁には是非借りて見て頂きたい。
[さてはて...絵はあまりに綺麗]
さて本題であるが....
誉めることから最初にしておくと...というか欠点を感じる前にまずは思ったのは画面が綺麗と言うことだった。もうこれは、何を置いておいても綺麗であった。それだけで私は見る価値があるように思う。
私が以前のこちらやこちらの記事で紹介している細田守氏の「時をかける少女」であるが、山本二三氏による背景(彼の参加代表作はジブリ=宮崎駿氏の「天空の城ラピュタ」)は全く文句のつけようがないし、貞本義行氏デザインの爽やかかなキャラクタ(彼の代表作は「新世紀エヴァンゲリオン」「ふしぎの海のナディア」)は個人的に大いに好みなのだが、それ以外の点については美的には特に画期的というべきものはないように思える。むしろ、若干「荒い」と感じられる部分もある。
宮崎駿氏率いるスタジオジブリの作品は非常に、画面が美しいことが特徴の一つにあると思う。宮崎駿の作品を中心にしてジブリの作品は画面が荒いとか、雑と感じることは極めて希で、非常に安心して見ていられる。(「ゲド戦記」についてはその点も劣っていた気が凄くする、すなわち描画が雑だったように思うのだが、なんか見聞きするとこれついては意見が分かれるようだ。謎である。)
新海誠氏の作品は、ある意味、スタジオジブリの作品以上に綺麗であると私は思う。それは「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」もそうだった。ストーリーを追わなくても画面を眺めているだけで綺麗さを楽しめるアニメ作品は早々ない。
この点では「秒速5センチメートル」も同じだ。いや、むしろさらに綺麗になっていると言えるかもしれない。ところが...
[う~む、話の流れが...]
私はやはりストーリー、というかプロットというか、そういうものを結構重視する傾向があるようだ。実際、細田守氏の「時をかける少女」が背景以外については特に美的に優れているわけではないし、むしろ欠点も挙げられるように思うのだが、私はその点はあまり批判しない。おそらくは究極的には重視していないからであろう。
でそういう点で「秒速5センチメートル」のストーリーは「え?」というものだった。というか一言で言えば「登場人物たちに共感できなかった」ということかもしれない。
もっとも考えてみれば「秒速5センチメートル」はあくまで短編3部作であり、「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」から構成されていて、私が納得いかなかったのは最後の「秒速5センチメートル」である。というか、まあ映画の感想というのは得てしてエンディングへの感情に左右されるので仕方ないのだが、どうも3話目の「秒速5センチメートル」の主人公に共感が出来なかった。
しかも...
[純粋な恋愛モノは苦手...]
ネタバレになってしまうのだが、今回の作品はSFではない。「ほしのこえ」と「雲のむこう、約束の場所」は曲がりなりにもSFであった。確かに恋愛の部分は重要な要素なのだが、少なくともそれだけではない。細田守「時をかける少女」も全く同じ。恋愛は重要な要素だがしかし基本はSFである。
ところが今回の「秒速5センチメートル」は純粋に恋愛モノなのである。これがまた私には共感できなかった。
恋愛モノが苦手なことは
英國戀物語「エマ」
もっともこれについては友人と意見が分かれた。
というよりも上のような形の評価は私の「好み」にしか過ぎないことを批判された。「時をかける少女」と同じく親しい友人と観に行ったのだが、実は彼が好きな映画に「海がきこえる」という氷室冴子原作のジブリアニメ作品があるのだが、私はこの作品もさっぱり共感出来なかった。
これらを見て分かるように「恋愛モノだけ」のストーリーは私はダメなのだ。
[SFでなく、また共感も出来ず...]
で、上のことも絡むのかもしれないが、実は私は全く予備知識なしに映画を見るので、今回の作品が純粋な恋愛物だとは知らなかった。で、映画の中には、特に2番目の「コスモナウト」において、SFを仄めかすような場面が何回も出てくる。そんなわけで、やがてはそっちの方向に話が展開するのかな...と期待していたわけだが、結局そっちに話は進まずに終わってしまったのだ。これはちょっとショックであった。
さらには3番目の「秒速5センチメートル」の主人公である男の語りに全く共感できなかった。というか、主人公が何を考えていたのか、何があったのか、それらが全くよくわからんのである。
実はポストカード形式のプログラムの中の6ページに三番目の「秒速5センチメートル」に関するストーリー(?)の概要があるのだが、その内容に当たるものですら、映画では感じられなかった。ただ一言「おまえ、なんやねんっ!」とかツッコミたくなる内容だったのだ。
[新海誠とハッピーエンド]
新海誠氏の作品に共通するキーワードは「切なさ」「切ない」であることがしばしば指摘されるし、また私もそういう部分があると思うのだが、そういう作品にありがちだが新海誠氏の作品はハッピーエンドとは限らない。「ほしのこえ」にせよ「雲のむこう、約束の場所」にせよ、ハッピーエンドでないことが強く仄めかされている。
だが、そうでありながら、それらの作品についてはハッピーエンドであるかのように観客が感じることが出来るようになっている。
ところが今回の「秒速5センチメートル」はハッピーエンドでは「完全に」ない。それもまたショックであった。
で、恋愛物である以上、恋が実ればハッピーエンドだし、実らなければバッドエンド、となるのは当たり前かもしれない。だから恋が実らなかったこと自体はそれほど批判すべきものでもないかもしれない。
だが問題なのは主人公がそれによって代わりに得た物が明らかになっていない、もしくは得た物がないように思われる点である。これがまた救い用のなさを感じさせる。
このような感情は確かに「切なさ」の一つかもしれない。今、「切ない」という語を広辞苑で調べると「圧迫されて苦しい。胸がしめつけられる思い出つらい」とある。まあ確かに今回の作品もそういう感情であると言えなくないが、しかしどちらかというと私にとってはむしろ「苦い」だけのような感じがした
そんなこんなで、ちょっとガックリしてしまったのである。
[「雲のむこう、約束の場所」は素晴らしかった]
さて、そう思って改めて新海誠氏の作品を見返すと、私が一番好きだったのは、素晴らしいと感じるのは長編
「雲のむこう、約束の場所」
だったように思う。
これは新海氏の初の長編であり、個人制作の面が強かった「ほしのこえ」などとはかなり違うはずだったのである。今回の「秒速5センチメートル」はむしろ新海氏の名を知らしめた「ほしのこえ」に作る体制としては近かったはずで、パンフなどにもそれについての言及がある。
そう考えてみると、そもそも新海誠氏の作品を知ったのはYahoo動画で「ほしのこえ」の無料配信を見たときなのだが、実は非常に作家として注目したものの、それですっかり私が新海ファンになったかというとそうでもなかったように思う。「ほしのこえ」は新海誠氏という作家を象徴する、重要な作品ということであり、またその仕事による功績が多大だと私は考えているが、しかしその作品自体にぞっこん惚れ込んだという感じではない。
それに対し、「雲のむこう、約束の場所」はかなり気に入った。で、それでも最初は「なかなか良い作品だね、これは新海誠氏を今後も注目せねばね」という程度の認識だったのにこうして
「ほしのこえ」
「雲のむこう、約束の場所」
「秒速5センチメートル」
と並べてみると「雲のむこう」が断然私としては面白かったように思える。
(以下未稿)