先日
2006/08/19記事「[映画] 『ゲド戦記』はやめて、細田守監督『時をかける少女』を見に行こう」
で紹介した、細田守監督の「時をかける少女」。
今やこの映画は私にとって特別な映画になった。なぜなら
「自分が小中学生の時に見たかった、見せたかった、見るべきだった作品であること」
に気がついたからだ。
こんな経験は初めてだ。正直、現在少々動揺している。
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[サウンドトラック]
この映画を見てからほどなく、「時をかける少女」のサウンドトラックを買った。言うまでもなく、サウンドトラックとは映画で使われたバックミュージックの音楽集である。
私はアニメーションや映画の作品が気に入ると、何度でも見ることを楽しむ。サウンドトラックを聞くというのはその代替手段であり、映画を見なくても音楽を聞くことで脳内再生を行うようだ。
私は多くの人の例に漏れず、音楽を聞くのが大好きなのだけど、聴く曲はアニメのサントラや挿入歌がとても多い。というか実は聞く音楽の大部分だったりする。アニメとは関係なく気に入ったのは遊佐未森だけだ。
だから今回、サウンドトラックを買って聞くようになったのは、私にとっては珍しいことではない。
しかし今回、それを聞いているうちに、やはり映像の方をもう一度どうしても見たくなってしまった。そういう気持ちになって、実際に映画館に通った経験は、今までだと宮崎駿関係の映画だけだった。
(今回ちょっと喜ぶべき事は、鬱病になって、直ってからは初めて、ということくらいか。)
今回の場合、一回目に観た段階で「もう一度、絶対に観に行こう」と最初から心に決めたわけではなかった。
たまたま、繁華街である京都四条を通りがかったので
「この近くでも『時をかける少女』が上映されていて、時間がちょうどあったら(ってその時の時刻は既に18:30)もう一度見ようかな」
と思ったからだ。
たまたま上映時間がぴったりでホイホイと観にいったのだが。ところが...
[泣いてしまいました]
映画館で泣いてしまった....
実は私は泣き虫なので、映画などを見ても結構すぐ泣いてしまう。まあ一応男だし(偏見?)、泣く姿は極力、他人には見せない。
しかも面倒なのは「こんな単純な話で泣くほどのものではないのに」理性的には思っていても泣いてしまう場合が多いのだ。この辺、感情のコントロールが出来ない部分があり、自分が感情的な人間であることを痛感し、あまり嬉しくない。
だから映画を見て泣いても、理性的にはなるべく泣くまい、泣くまい、と思っていることが多い。
「まあ、泣いてもいいか」と割り切ってしまうくらい泣いた作品は、宮崎駿氏の「風の谷のナウシカ」くらいだろうか。
「風の谷のナウシカ」は小学生の時にテレビで初めて見たときから泣き、宮崎駿作品にハマった大学生の時にも何回か観て、観る度に泣いていた作品で、もうこれに費やすべき涙は既に一生分出し切ってしまった気さえする。
[私にとってのこの映画の異例さ]
けれども今回の細田守監督「時をかける少女」に流した涙は、「風の谷のナウシカ」の場合以上に「異例」であった。
「「風の谷のナウシカ」」で泣くのはストーリー的に泣いて当然のような、お涙頂戴の雰囲気がある作品だから泣くのだが、しかしそれでも
「女子供じゃあるめえし(って偏見だぞ、おぃ)、泣くまでのこたあ、ない気がするが」
という理性を感じながら泣く場合が多い。
ところが今回「時をかける少女」は理性的にも泣くことを許可してしまった。
なぜか。
それは最初に書いたように、この映画・細田守監督「時をかける少女」は
「自分が小中学生の時に見たかった映画」
であることに気がついたからだ。
それに気がついた途端、私はボロボロと、しかも躊躇いなく涙を流してしまった。
今回のように「自分が小中学生の時に見たかった映画」と思った映画は今まで出会った記憶がない。
それは私にとって映画とかアニメは何かを学ぶためではなくて、単に楽しむためのものであったからだろう。
ところが今回、このストーリーに託されたメッセージを、このストーリーで観せられた時、自らの中高生の時を振り返って泣いてしまったのである。
人間、自分の過去の行動について、何かしらの後悔を抱いている行為というものはあるものだ。
私はこの映画「時をかける少女」を観てそれを思いだし、その時のことを後悔するとともに
「もしこの映画をその前に観ていたら、自分の行動は違うものになったかも知れない」
そう思ったのである。
なんかそう思うと、泣くに足りる映画だと思った。自分はこの作品を見て、泣く資格があるように思ったのだ。
繰りかえしになるが、私には今までにそんな風に思った映画はない。(無かったと思う。)
いつも涙が出るときに感じる
「たかが想像のお話なのに」
「確かに悲しいことだが理性的に受け止めさえすれば泣くことはなかろう」
とかは思えなかったし、思う必要も感じなかった。
[余談:私の映画経験(関心のない人は読み飛ばして次へ)]
私は映画やアニメの環境について恵まれていたのだろう。父親がちょっと風変わりなことに、アニメに対する抵抗心が少なくて、私を積極的にアニメ映画に連れて行ってくれたからだ。
(父親のこのようなアニメへの姿勢は、戦後、日本の映画界に外国の優良なアニメーション作品、たとえば米国「ファンタジア」やロシア製「せむしの子馬」などがどっと入ってきて、それに触れたからのようである。)
私が家族に連れて行って貰った映画としては
「アルプスの少女ハイジ」
「宇宙戦艦ヤマト」
「銀河鉄道999」
「機動戦士ガンダム」
などがあった。
洋画も結構あって
「スーパーマン」
「スターウォーズ」
とかあったが、他のものは忘れてしまった。なんか結構たくさんあった気がする。
「天空の城ラピュタ」は姉に連れられて見に行った。
今から考えると、こんな環境に育てばアニメに抵抗が無くなって当然ではある。
しかし今思うのは、これらの映画が私に及ぼした影響は少なくとも趣味には影響しただろうが自分が生きる上で、大切なものをアニメ映画から学んだ、という記憶はない。
娯楽作品の中でいろいろなものを学んだ、と感じるのはむしろコミックである藤子・F・不二雄「ドラえもん」の方がその大きいと感じる。
そんなこんななので「子供の時、これを観ていればよかった」というような映画は今まで無かった。
しかし今回の「時をかける少女」は違った。小中校生の時の、淡い、甘酸っぱい、そして苦い想い出と共に、私はこの作品を小中学生の時に見れなかったことを、とても残念に思うのだ。
[全国の保護者の方々へ]
全国のお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、おじいさん、おばあさん、あるいはそれ以外の保護者に相当するような方々。
小中学生の子供が身近にいるなら是非「時をかける少女」を見せに行って下さい。
夏休みももう終わりですが、きっと子供もあなたも楽しめるでしょう。
この作品、細田守監督「時をかける少女」は、宮崎駿率いるスタジオジブリ作品たとえば
「ルパン三世 カリオストロの城」
「風の谷のナウシカ」
「天空の城ラピュタ」
よりも、子供にとって遥かに有意義な経験になるかもしれません。小学生の時に自分自身が見たそれらの映画と比べて、そう思うのです。
・参考:上映映画館(少ないです!)
http://www.kadokawa-herald.co.jp/official/tokikake2006/jouei.shtml
少なくとも、現在多くの人が観に行っているジブリの汚点「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督)を見せるよりも100倍、否、1000倍は良いことなんじゃないかと思います。
(というか「ゲド戦記」は見せて些かでも役立つ作品と言えるかどうか疑問なので比較も不可能な感じ?)