人生いろいろ、道を間違えるということはある。自分なども若い頃、工学部を出て就職した設備産業系超大企業を2年余りで辞め、文学部に編入し、6年かけて一応卒業したものの、結局前と同類の中小企業に入り直したような紆余曲折を経ているので、人生の道を間違えた分類に入るのかもしれない。
だがこの記事で書きたいのはそういう人生の話ではなく、もっと言葉通りの、歩いたり、車に乗っていたりして、道を間違える話である。
[推敲度 6/10]
1■カーナビは便利だがそれでも道は間違える
現在は、車ではカーナビゲーション(所謂、カーナビ)が、歩きでもスマートフォンの地図機能があり、それらを利用すれば道に迷うことは少なくなった。それでも道を間違えることはある。
カーナビは本当に便利だが、2024年現在、残念ながら完全自動運転は実現されていないし、簡単には実現されそうにない。ここ10年くらいの自分の夢として、自分が耄碌する前に完全自動運転が実現し、よぼよぼになっても自家用車を自動運転で使えることが夢だったが、おそらくは実現できないだろう。
その結果、カーナビはあくまで「ナビ」であって、実際の運転は人間が行わなければならない今現在、しばしば道は間違えるものである。車の運転で道を間違えるパターンには以下のようなものがあろう。
- 曲がるべきところ( 交差点)で曲がり損なう。
- 曲がるべきところを別な道に曲がってしまう。
- 高速道路で分岐を間違える。
- 高速道路で降りるところを間違える。
- (最終)目的地を通り過ぎる。
それでも1~4であれば、カーナビが速やかに修正してくれることが一般的で、目的地に辿り着くのはカーナビに従えば良い(たとえ時間がかかるとしても)。厄介なのは5で「目的地付近に到着しました」とカーナビは終わってしまい、目的地は後ろ、で困ってしまうことがある。
さて、上記の状況に遭遇する状況、理由としては以下のような場合がある。
- 同乗者と会話などをしていて運転に集中していなかった。
- 同乗者がいるいないはともかく、運転に集中していなかった。
- 運転には集中していたが、道が複雑だったり、かなり前からの車線変更などが必要で、それらをしそこなった。
- 道路が変更されていてカーナビが対応できなかった。
1と2については運転者のミスであり、運転に集中するか、自動運転の登場を期待するしかない。そもそも運転に集中していない場合には道を間違えるだけではなく、交通事故なども起こす可能性があり、自動車の運転は集中すべきものである。
その一方で、「ドライブ」の意義は同乗者とのコミュニケーションを楽しむことも含まれていると思われ、会話を全く我慢するというのもなかなか難しい場合はある。そういう点では自動運転になれば、心置きなく、同乗者の会話を、景色を見ながら楽しめるはずで、本当に早く実現して欲しい。
閑話休題。
だがどんなに運転に集中しても道を間違えることがしばしばある。上の中では3番、4番だが、4番はそれほど頻繁ではないと思われるが、3についてはさらに要因がいろいろあり、たとえば渋滞とはいえなくても交通量が多くて思ったところで車線変更が出来ずにそのまま違う道を行ってしまうことがある。
ドライブで道を間違えることは、時間、ガソリン、精神の浪費以外の何物でもない。また道を間違えると少なからず気持ちが動揺し、交通事故を起こすリスクが格段に高まると思う。
致命的な道の間違えを起こすと、頭が真っ白になることも得てしてあり、そのような気持ちで運転をするのはとても危険である。
2■自分の場合の慰めがGPSロガー
さて、普通であれば道を間違えるというのは、気持ち的には痛いものであるし、上述のように交通事故を起こすリスクも高まるし、後になれば苦い思い出となる。そんな場合に自分が慰めとしているのがGPSロガー記録(GPSログ)だ。
GPSロガーとは?(2025年版) | まったりハマる生活(個人ブログ)(2025/1/13)
道を間違えると「ここどこ~?」というような景色に辿り着く場合も少なくない。路地に入り込んだり、自分の計画にはないはずの、海、川、山、線路が見えたり。カーナビのお陰で目的地に辿り着けても、道を間違えたという苦い認識が残る。
しかしGPSロガーで記録を残していると
- どこを間違えてしまったのか
- その結果、どこまで行ってしまったのか
- 行った先で見えた風景はなんだったのか
- どうやって経路を(カーナビが)修正したのか
を後で確認することができる。
それらにより、場合により、反省したり、仕方ないよなと慰めたり、事故を起こさなかったこと自分を褒め、そして楽しむことができるのだ。(少なくとも自分は。)
すなわちGPSロガーを残し、後でGPSログを確認できると、
「なんや、こんなところまで行ってもうたわ。でもこんな風に戻ってきたのか。そうか、あそこが〇〇という場所なのか。事故起こさんで良かったな。」
という気持ちになれるのだ、、、、少なくとも自分は。
そしてその場合に、何より重要なことがある。そのように、事後でGPSロガー記録を楽しめる?と分かっていると、道を間違えた渦中での気持ちも、
「あ、また間違え記録を残せるぞ」
と思い、気持ちの余裕が出来るのだ。
前述のように、道の間違えは気持ちに動揺を与え、運転を危険に晒す可能性があるが、上のような気持ちの余裕が出来ると事故のリスクもずっと減らせる。
車の運転で事故を起こした時の心理的ダメージは、道を間違えることとは比較にならないくらい大きい。車で事故を起こすことに比べると、道の間違えなどは屁でもない。そのはずではあるのだが、それでも実際に道を間違えると、動揺したり、後悔したり、悔恨したり、苦い思い出になってしまうのが普通だと思う。道を間違えた時のGPSログを楽しめるということは、道を間違えた時の動揺を減らし、それがひいては事故を起こす可能性も減らせることになる。
もちろん、道を間違えることにより、状況によっては当初の予定が遅れたりして、苦い思い出となることもあるだろう。そのためには余裕を持ったドライブ計画なども必要だ。すなわち道を間違えた場合でも、尾をひかないような行程、旅行計画が大事になる。
3■自分の場合の過去の道の間違えいろいろ
最後に自分のドライブで、道を間違えたor間違えた可能性のあるGPS軌跡を紹介する。
画像中の赤い点線がGPSログで記録した軌跡。地図はSuperMappleデジタル24。
●自分の道の間違え人生最大級、日本一長い山手トンネルに入ってしまう
(2017年02月)アクアラインから東京(秋葉原)に戻るとき(北上中)に品川付近で間違えて、西進する「山手トンネル」に入ってしまう。山手トンネルは日本で一番長い道路トンネル(全18.2km)で高速道路である。山手トンネルの全面開通は2015年とのことで、この時はまだカーナビが対応していなかったと思われる。
カーナビにはない道(しかもトンネル)を突き進み、次の出口で出ようと思ったら、いくら走っても出口がない。「一体俺はどこまでいかねばならんのだ!」と叫びながら運転した。結局出れたのは「渋谷上」(ETC記録からも裏付けられる)だったようでGPS軌跡を見ると思いっきり三角形を描いており、皇居の西側を通って秋葉原に。
ちなみにトンネルなのでその間のGPSログは記録されておらず、トンネルの入口と出口でのみ残っている。
●これは本当に道を間違えたのか?運転中にはかなり動揺したのだが、、、、
(2019年9月)福岡から遠賀郡に向かうのに高速道路途中で真っ直ぐ行くべきを右に曲がってしまった?その当時は「しまった間違えた~」と痛恨の思いがしたが、カーナビは大幅な修正をする様子がなく、そのまま九州自動車道に乗ってしまった。
●カーナビで設定を間違え、気がついたら別な場所に?
(2023年12月)東京方面から首都高速・羽田線を下り、大田区平和島に行くつもりで、カーナビの目的地に平和島の街中を指定したつもりだったが、「平和島出入口」で降りるはずが降りる指示が出ず、行き過ぎ「羽田出入口」で降ろされた。そしてカーナビの指示ではなぜかもう一度都市高速に乗ろうとする。(ちなみに自分自身はカーナビにお任せで平和島で降りそこねたこと自体認識しておらず、首都高を降りて目的地近辺に着いたはずが、それらしき目的地が近くにないこと、もう一度高速に乗ろうとする指示で異常に気がついた。)
仕方なく車を止めてじっくり確認したところ、最初の目的地入力で、平和島の一般道ではなく、高速道路上を目的に指定していたようだ。その結果、高速道路上で目的地に着いたと認識できず、あるい上り路線が目的地になっていた?のか、カーナビとしてはもう一度高速道路に乗って目的地に近づこうとしていたらしい。目的地を一般道に指定し直し、流石にもう一度高速に乗るのは懲り懲りして一般道で平和島に向かった。
ちなみに都市部であるため、車を落ち着いて停車するためにうろうろする軌跡も「羽田出入口」付近で残っている。
4■おわりに
本記事はGPSロガーに関する記事の一環として書いたが
「GPSロガーとは?(2025年版) | まったりハマる生活(個人ブログ)」(2025/1/13)
そちらにも書いたように、現在ではGPSログを取るには、とりあえずはスマートホンで出来るし、スマートウォッチ(GPSウォッチ)などの活用が期待される。どういう手段であれ、本記事で述べたかったのは
「GPSログを残すことは楽しい」
ということだ。
まあ私はもともと「歴史」が好きで、それは記録を残すということを重視することが多く、GPSログを残すことに拘るのもその一環なようにも思われるが。
(終わり)