本日2024年10月8日、長らく冤罪が叫ばれていた袴田事件の死刑囚・袴田巌氏の再審無罪が確定することがほぼ決まった。事件が起きて袴田巌氏が逮捕されたのが1966年、死刑確定が14年後の1980年、それからなんと44年、通算58年である。
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・袴田巌さん無罪確定へ 事件から58年 検察が控訴しない方針 【ライブ配信】弁護団会見 | NHK | 事件
・袴田巌さん再審:袴田巌さん、無罪確定へ 検察が控訴断念を発表 逮捕から58年 | 毎日新聞
私は今から16年前に、ブログ記事で、やはり冤罪事件であったされる帝銀事件と死刑制度に関する持論を述べたことがあった。
・鳩山邦夫氏「自動的に死刑執行」発言と帝銀事件・平沢貞通死刑囚 ハマる生活
帝銀事件は戦後間もない1948年に起こった、奇妙な銀行強盗殺人事件だ。平沢貞通氏が逮捕され、死刑判決となったが、その後、冤罪の可能性が高いとされたにも関わらず再審制度による無罪判決には至らず、平沢氏は死刑囚のまま95歳で獄死した。発生と逮捕が1948年、死刑確定が7年後の1955年、そして平沢貞通死刑囚が獄中で亡くなったのがその32年後の1987年、すなわち獄中死は逮捕後39年であった。今回の袴田氏はそれよりも20年近く長く獄中にいたことになる。
私が帝銀事件を知った時にショックだったのは、1967年の法務大臣、田中伊三次氏のエピソードである。すなわち
法務大臣在任中の1967年10月13日、大臣室に新聞記者を集め、数珠を片手にポーズを構えて23人分の死刑執行命令書に署名し、記事にするよう求めた。この行動は記者たちを呆れさせ、どの新聞社も記事にしなかった。しかし、提出された死刑執行命令書の中に平沢貞通の名前を見つけた時には「これ(平沢)は冤罪だろ」として署名しなかった。
貼り付け元 <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%BC%8A%E4%B8%89%E6%AC%A1>
このエピソードは帝銀事件発生の19年後、そして平沢氏の獄死はこの20年後になる。すなわち時の大臣があたかも当然のように冤罪だと見なした死刑囚が、死刑判決が覆されぬまま、その20年後に獄死しているのである。
これらの出来事が百年も前の出来事だったら、自分(高崎)もそれほど深くは考えさせられなかったかもしれない。だが平沢氏が獄死したのは自分が若い頃であり、決して遥か昔の物語ではなかった。この事実を知ったとき、私は日本の司法制度というものが冤罪を生み出す可能性があり、しかも修正が効かないものであることを痛感させられたのである。
しかもその前後で袴田事件を知り、死刑の冤罪は過去のことどころか、まさしく現在進行系の事案が続いていることを知ったのだ。
今回、帝銀事件の平沢貞通氏とは異なり、袴田事件の袴田巌氏は再審でようやく無罪を勝ち取った。それは今現在の2024年の日本の司法制度・司法組織が、帝銀事件で平沢貞通氏が獄死した1987年の時よりも、真っ当になっていることを示すものなのだろうか。けれども平沢氏の時には逮捕後39年後に獄死だったが、今回の再審無罪確定は逮捕後58年後だ。
袴田事件で忘れてはいけないのは元・裁判官、熊本典道氏のことだ。熊本典道氏は袴田事件の1966年の第一審で死刑判決を出した3人の裁判官の一人だったが、そのことに悔やみ、翌年弁護士に転身、2007年になって袴田氏の冤罪を訴え始めた。これは「合議の秘密」を破ってのことだったという。
これはすごいことだ。死刑判決を出した第一審が無ければ、果たして最高裁まで死刑判決が続いたか分からない。その重要な第一審で死刑を判決した3人の裁判官の一人が、判決は過ちだったと後になって訴えたというのだ。
・熊本典道 – Wikipedia
熊本氏は弁護士に転じてから、最後は弁護士登録が出来ないほど落ちぶれ、袴田氏無罪の考えを吐露したのはその後、70歳の時ということで、その主張が信頼出来るのか、売名行為ではないのか、疑うことも出来るかもしれない。だが基本的には彼の主張は信用を得ているようで、再審請求の動向にも影響を与えたとされているようである。
とはいえ、熊本典道氏が声を上げたのが2007年、それから再審無罪を勝ち得るのに17年かかったことになる。
私は日本の司法組織、司法制度が悪の組織、悪しき制度などとは思っていない。日本の司法は民主主義の重要な一翼を担っている。だがそれは間違いを犯さないということではない。いや、何回も間違いを起こしており、今でもどこかで起こしていると思われる。
だからこそ16年前の主張を繰り返したいと思う。
自分は死刑制度に「それでも」賛成だ。先進国の多くが死刑廃止にしていようが日本は死刑制度を維持して良いと思う。だが「死刑判決が確定してから、6ヶ月位内に、杓子定規に執行すべし」という意見には大反対である。
それに賛成する人々に私は声を大にして言いたい。帝銀事件の平沢貞通氏、袴田事件の袴田巌氏を、死刑判決後、半年で死刑執行していたら、おそらくは彼らが冤罪だったという歴史はほとんど残らなかったであろう。田中伊三次法務大臣、元裁判官・熊本典道氏のエピソードも起こらなかった可能性が極めて高い。まさしく冤罪事件は闇に葬られることになっただろう。そうであるべきだったと言うのだろうか。
繰り返し言うように死刑制度には賛成だ。だが、冤罪は許されるべきではなく、その可能性は限りなく下げなければならないし、さらには冤罪で死刑を執行してしまうことはもっと避ける努力をしなければならない。冤罪の死刑判決が出る可能性がある限り、機械的に半年以内の死刑執行などは断固として行われるべきではない。そう自分は思うのだ。
最後になりましたが、袴田巌さん、彼の無罪を信じて支え続けた姉の袴田秀子さん、そして支援者の皆様、本当にご苦労さまでした。天国の熊本典道さん、私が言うのも烏滸がましいですが、無実の者に死刑判決を下したという、あなたの罪は贖われたと信じます、安らかにお眠りください。