[コラム]『SNSへの期待~インターネットの歴史を振り返りながら』第二回「実名主義のネットが...」

[推敲度 6/10]

 私がインターネットに出会ったのは大学工学部で研究室に所属した時(四年生)だった。 インターネットなるシロモノが日本全国、全世界...というか先進国の理系の研究室で、急速に広がり始めた頃だ。

 その時にはWebサイト(ホームページ)よりも、電子メールと、それを利用したメーリングリストが私にとっては衝撃だった。

 初めて入った趣味系のMLでは 毎日3時間かけて書く投稿を2,3ヶ月続け、最後は他の方とのフレームになって終わったこともあった。今では良い思い出だ。

 それには全く懲りずに、その後、友人達とのメールやMLでの投稿が大好き、大大大好きになる。

 どのくらい好きかというと、私が入ったMLでは半年から一年経った後、自分のメーラーで投稿内容が多い順に並べると大抵自分のメールが上位を占めることが多かった。ML参加者の中には「一言コメント」のような投稿者も多かったので投稿数では1,2位とは限らなかったが、それでも投稿数でもそれなりに上位だった。

 すなわち自分が入ったどこのメーリングリストでも、数的にも一通あたりのメール量的にも上位を占めていた。それくらい「メーリングリストコミュニケーション」が好きだったのだ。

 当時のメーリングリストは、実名で名乗ることが一般的だった。

 特に一番最初の頃などはほとんどの人が企業か大学所属だったので
「高崎真哉@○大です」
「高橋直哉@N○Cです」
なんてのが普通の挨拶(実際には伏せ字にはしない)だった。

 そんな中で行うやり取りでもフレームは起こるがそれでもやはりモラルの高い「古き良き時代」であったのだろう。

 その後、私は研究室での刺激でホームページや掲示板を作りはじめる。 そこでの訪問者とのやり取りが最高な楽しさだった。
 その時のものは

の一番下のリンク先を大事に残している。 いま見てみると、やはりそのころも、 まだ実名+所属を名乗る人が多い。 当時、インターネットは通常のコミュニケーションを「ただ」広げる役割だったのだ。 ハンドルネームなんて必要なかったのだ。

 私のサイトを見てくれた未知な人の中には口の辛い人もいて、ちょっぴり傷ついたこと、「なにくそ」と思ったこともあった。
 でもそういう人に限って、実名や所属を名乗っていた。だから不信感は全く抱かなかった。口の辛い人、厳しい人、率直な人なんだなと思った。

 ところがその後、ハンドルネーム・ペンネームの利用者が多くなっていくのは上の私の掲示板の投稿者の様子を見ていくだけでも手に取るように分かるだろう。
 まあ、名前はともかく、「企業や大学の肩書きがない」ということはどうでも良いことだったのだが。

 ともあれ、私が大学を出たときにまず必死になったのは、そんな楽しみを謳歌したインターネットを大学でなくても家で出来るようにすることであった。

 寮生活で個人電話をひけなかったので、電話代は2万もした。それとは別に定額接続の為のプロバイダー料金が月に5000円だった。当時「定額接続」と言えば電話代コミでなかった。

 そしてその結果、私の元会社員時代は、会社での生活と、余暇は家でのホームページ作り、MLでのコミュニケーション、そして前から好きで思いを昂じていく中国史(毎週のように中国文物のある博物館へ通うことなど)で費やさされた。

 将来の夢のことを除けば、それなりに楽しい充実した2年強の元会社員生活だった。

 インターネット必須の生活になっていくのは決して私だけではなかったに違いない。日本は技術立国なため、理系(というか特に工学部)の研究室は多く、毎年かなりの数のインターネット体験者を輩出する。そして多くの人が卒業後もインターネットがやれるようになることを望み、そういう人へのサービス提供で「ISP」産業が急速に成長していく。その結果、理系でない人々の中からもインターネットに参加する人が多くなっていったと思われる。
 ところがそうしていくうちにインターネットは匿名性・仮名性を強めていく。

 ところで会社でもインターネットをすることは出来たが、私は決して会社ではインターネットをしなかった。
 会社の仕事を覚えるので精一杯だったこともあるが、会社で私的なことはしたくなかったのが一番の理由だ。

 大学の研究室で研究ツールとしてのインターネット使用がついつい遊びに流される実態を散々に見て、また自分自身体験してきた。 会社でそれをやってはいけない、と強く思っていた。大学時代はともかく、性格的にそういう「公私混同」は嫌いだったのだ。

 ネット上で実名で活動している限り、会社の人々にも自分のプライベートが知られてしまう。それでも私は、匿名性・仮名性が広がる中でやはり名乗ることにこだわった。
 ハンドルネームを考えようとしてもしっくりこなかったこともある。なんだか自分でなくなる気がした。

 ハンドルネームを設定する利点も感じなかった。「この高崎真哉」はどこにいても「この高崎真哉」なのだから。
(第三回に続く)