近年はAIブームである。右も左も、猫も杓子も、AI、AI、である。だが自分はAI技術に非常に懐疑的だ。所詮ブームはブーム、人類を進歩させるような十分な成果は出来るまい。自分はSFがかなり好きで、知能を持った「ロボット物SF」も嫌いではないが、現在の技術の延長上にそれらがあるとは思えないのだ。
[推敲度 3/10]

■自分はAI技術に不信感があるがAIチャットボットを積極的に導入してみた
近年のAIブームの代表がAIチャットボットだろう。
自分は後述のようにAI技術とその流行の意義を信じないし、極めて懐疑的だ。しかしそれは関心が無いということではない。どちらかというと人よりも関心があるのかもしれない。
よってChatボットが流行り始めたとき、使い始めてみた。
ChatGPT
Grok(twitterもといX)
活用したいというよりも「AI技術の最先端?どーせ過去のAIブームと同様に、本格的な知能と言えるものではあるまい。馬鹿にしてやろう。」と思った部分が強い。
そしてその結果は言うと、、、、やっぱりAIなどというものは、大馬鹿な、信頼できない技術であった。
■嘘をつくAIチャット
AIチャットでのやりとりでは、相手が人間かと見まがうような自然なやりとりが「一見」出来るようになったのは確かだ。しかしながらその発言を眉に唾を付けて見てみると、随分といい加減なことを話すことに気がつく。
- 間違ったことを言う。あらゆることを間違える。
- 一つの回答、あるいは複数の回答で矛盾したことを述べる。
- 間違いを指摘すると平然と(最初から正しいことを述べていたかのように)修正事項を述べる。
- 間違っていたことを責めるとやっと反省の素振りを「形だけ」見せる。
間違いというのはいろいろな場合がある。黒を白ということもあれば、あらゆることを捏造する。
- 過去に活躍した著名人として存在しない人物を挙げる。
- 存在しない観光場所を案内する。
- 記事を紹介してくるがその記事が存在しないことがある。
- 記事を紹介てくるが実際に読むと全く内容が違う。
やはりAIなるもの、信頼できないのだ。そして上のようなやりとりをしていると、非常に怒りとストレスがたまる。その結果、自分はキレてAIを罵倒するようになった。罵詈雑言を浴びせる。AIの背後には人は居ない。よって感情的に傷つくことはないとされる。それなら罵倒し放題じゃないか。
AIに問いかけ、
間違いや矛盾したことを返答され、
それを自分が指摘し、腹を立て
AIをけちょんけちょんに罵倒する
そんな日々が続いている。
■それでもAIチャットを使う理由
上記のようにAIは信用できない。にもかかわらず、AIチャットを毎日のように使っている。なぜだろうか。
インターネットが普及してから、知らないことを調べることが随分楽になった。いわる「ググる」が流行語になったように、インターネット検索で調べれば多くのことが分かるようになった。
けれども、少しでも複雑なことを調べようとするとそれなりに手間がかかる。あるいは結局良く分からないこともある。
たとえば、、、、
- AliExpressで発送が遅いようだ。対応する方法があるか。
- AndroidアプリXXXがGoogleプレイからなくなってしまった。代わりになるアプリはあるか。
- 長時間、GPSロガーとして使うためのスマートウォッチが欲しい。スポーツデータ管理や健康維持目的は必要ない。どんな製品があるか。
- 出光美術館が入る国際ビルヂングは帝劇ビルと一体になっている。文化施設である国際ビルヂングは出光興産のものだがそれと帝国劇場が一緒になっているというのはどういう経緯か。
などなど。
従来の単純な検索、検索で調べようとすると、いろいろなキーワードを駆使しながら、複数のサイトを渡り歩いて、知りたいことに辿り着かねばならない。
上のような内容は場合について、ダイレクトな情報のWebサイト、記事が見つかれば良いが、なかなかそのような情報が見つからない場合も多い。
ところがAIチャットは上の質問をそのまま入力すれば、「一応それっぽい」回答を出してくれる。「一応は」回答が得られるのだ。それはかりそめの満足を得られるということでもある。確かに便利な部分がある。
ただし繰り返し言うように「嘘も多い」。すごく多い。AIチャットの利用では、AIチャットとの会話を進めながら、少しでも不審な部分の回答に突っ込みを入れ、AIの情報の修正を促し、正しい情報を引き出すというのが2025年のAIの正しい使い方なのだと思われる。くれぐれもAIの言うことを丸ごと信用はしてはいけない。
■なぜAI技術は信頼できないか
AIとは「人工知能」であるが、人間が持つものは「一般知能」と呼ばれる。
AI研究は究極的には「一般知能」を目指してきた。「知能」が必要なのは一般的に「問題解決」が必要だからだが、その問題というのが一般的には実に多様なものだ。
しかしそれだと問題が複雑すぎるので、単純化したり、数値化したりする。そしてそれ目指して柔軟な解決を図ろうとする手法の研究が「人工知能」とされる。
「人工知能」の研究では、目標への最適化アルゴリズムが各種考え出されてきた。
エキスパートシステム、ニューラルネットワーク、機械学習、などなど。
しかしながら結局、個別の問題の学習手法に止まり、「最適化(を目指す)学習」とは言えても果たして「知能」と言えるか、「一般知能」に近づく物かというと疑問に思われる研究がほとんどである。
現在の第三次AIブームはインターネット利用と記憶装置の大規模化に伴うものと言えるが、上のような問題性は変わらない。たとえばインターネットの膨大なデータを利用しても、そこで「正しい情報」を見つけ出す「知能」が確立されていないし、そういう技術も理論も無い。その結果、頻繁に誤情報が発生する。
結局、コンピュータは何ら「賢くなっていない」のだ。全く「知能」と言えるものではない。
(つづく)