[雑記] (コラム内容ではなく)坂東氏子猫殺し騒動について私・高崎の見解

 以下は

坂東眞砂子氏コラム「子猫殺し」関連のまとめ
https://blog.stakasaki.net/article/200608article_14.html

に載せていたもので、坂東眞砂子氏コラムそのものの内容に対してではなく、この件が騒動というべき事態になり始めたこと、なったことについて私・高崎の見解である。

 もともと「騒動の現状」に付記してつけたものなので内容的には一記事にするほどのものでないことを御容赦されたい。

 それから下記で抱いていた不穏な感情、すなわち

| 「坂東眞砂子」をネット上で検索した際に
| 「直木賞」よりも「子猫殺し」のほうが
| まずは上がってくるような形にすべきではないか、そういう感情的な思い

というのは半ば満たされつつある。

 すなわち、Google検索結果トップ100を見ると、10くらいまでこそ違えども、それ以下は次第に「子猫殺し」の頁で埋まりつつあるのだ。
 「猫殺し」という比較的一般的な単語検索結果でも似たような感じだ。

 げにインターネットの力は恐ろしい。



 私は本来、特定の人物を攻撃する行為は憎んできた。

「私が「ネット上での個人攻撃」を憎む理由 」
https://blog.stakasaki.net/article/200512article_11.html

 だが今回の件についてはどうもこのまま、単に「ネット上で反響が大きかった」では済ませたくないという思いがある。

 上で書いたような個人攻撃と別である理由には、今回の場合、氏が直木賞作家という立場であり、私人とは言い難いこと、大手新聞に載せたコラムの内容が問題とされていること、などを挙げられよう。
 氏は現在、直木賞作家として有名である。だが高崎個人的には、今回のような文を書いた人物が「直木賞作家の坂東眞砂子」として評価をされ続けることに釈然としない思いがある。(ただし別に直木賞を取り消せとか、そういうのを言いたいわけではない。)

 まずはこの件に関して、もっと長い文による釈明、弁明もしくは主張が聞きたい。彼女は物書きであり、ましては今回のことは文章によって多くの人に衝撃と影響を与えたのだから、何らかの見解を示すのは義務であろう。

 私の意地悪い意図を打ち明けると、何らかの反省的な釈明がされない限り、「坂東眞砂子」をネット上で検索した際に「直木賞」よりも「子猫殺し」のほうがまずは上がってくるような形にすべきではないか、そういう感情的な思いが私の中に沸き起こっている。

 なぜこれほどまでに今回のコラムが自分自身の怒りを呼んでいるのか、についてもいずれ検討したいと考えている。